計画研究13(A04)

 

 

西アジア文化遺産の材質と保存状態に関する

自然科学的な研究

 

 

谷口 陽子

Yoko Taniguchi
筑波大学人文社会系・助教

研 究 概 要

テル・エル・ケルク遺跡出土青色ビーズの断面

 先史時代からプレ・イスラームの西アジア世界の文化は極めて多様であり、その時期のさまざまな文化的要素が現代の西欧社会の基盤となっていますが、これらの物質文化の多様性、材質は多岐にわたっており、製作技法も複雑であるため、いまだに自然科学的に明らかにされていないものも多いといった現状にあります。また、西アジア諸国においては、過酷な自然環境や戦乱等による被害から、貴重な遺跡の保存修復、緊急保護に対するニーズが極めて高いケースが多く見られます。とくに、西アジア地域においては、日乾レンガ、壁画、粘土板といった未焼成の土製文化遺産や脆弱な凝灰岩製の遺跡が多いにも関わらず、材質や劣化状態に対する情報が不足しています。
 そこで、本研究グループは、西アジア先史時代からプレ・イスラーム期までの文化遺産を対象とし、その製作技法、材料について自然科学的に明らかにすることを目指します。また、それらの保存状態について調査、解析を行い、保存修復のための基礎データを構築したいと考えています。
 具体的には、筑波大学所蔵の豊富な西アジア考古資料に関する分析研究や、シリア、イラン、トルコの遺跡構造物および、新たにユネスコより受託を予定しているカッパドキア遺跡修復事業のフィールドを対象としています。
 まず、西アジア考古資料に関する製作技法、材料の調査として、(1)遺跡における可搬型XRFを用いた非破壊元素分析および、微小サンプルを用いたラボでの高精度分析、(2)ELISA法など抗原抗体反応を使った方法やGC/MSを用いた文化遺産を構成する有機物質の分析手法の確立と実践を図ります。GC/MSを利用した脂肪酸、タンパク質、多糖類の峻別と、抗体を用いたタンパク質の分析を併行して行うことにより、クロスチェックができる手法の体系化を試みたいと考えています。さらに、(3)遺跡における文化遺産の保存状態の把握、現象の理解を目指します。トルコ・カッパドキア遺跡などを事例として用い、岩窟や壁画、周辺の地形の変容の事例を、詳細な形状3D解析等(特許「地盤変状監視方法」4256890)からシミュレーションするとともに、(1)、 (2)による物質の分析結果や状態マッピングとを連動することで、総合的な遺跡の保存状態劣化要因の解明を目指します。これらは西アジア諸国の文化遺産保存への貢献の一環であり、本領域研究の他の計画研究班ときわめて密接な関連を持って研究を実施していく予定です。

 

高輝度放射光施設Spring8における土器新石器時代の青色ビーズのXAFS分析
 本年度は、テル・エル・ケルク遺跡(シリア)出土の青色ビーズ(紀元前6600~6000年)を対象として、詳細な青色発色機構の解明を行う予定です。土器新石器時代の西アジアでは、青色のトルコ石を模したと考えられる生物由来のフルオルアパタイト[Fluoroapatite Ca5(PO4)3F]製ビーズが、墓の副葬品などとして発見されています。北シリアやトルコを中心に同様のビーズが出土していますが、ある特定のビーズ製作の拠点で製作されて、交易によって周辺各地に搬入されたものと考えられています。

写真1 テル・エル・ケルク遺跡出土青色ビーズのPIXE分析結果。

青色部分とMnの分布が一致している

 今回分析対象とする青色ビーズは、動物の歯牙などの象牙のようなテクスチャを持つ材料を用いて、ビーズ状に成形加工し、穿孔したのちに、特殊な方法を用いて青色に着色したものと考えられ、トルコ石に似た青緑色の美しい発色とビーズ表面のガラス状の光沢が特徴的です。それまでの青色・緑色の物質がすべて天然鉱物由来のものであったのに対して、この青色ビーズは、人工的な発色技術を用いて人類が初めて作り出した青色物質として位置付けることができ、考古学的・技術史的に極めて重要なものといえます。
いままでの先行研究では、青色に化学的に不安定だと考えられてきたMn5+が大きく関与していることまで明らかにしたものの、どのような化学的状態なのか把握することが難しい状況でした。そこで、本研究グループでは、12月~1月に、高輝度放射光施設Spring8にてXAFS分析を行うことで、Mnが深さ方向にどのような状態で存在するのかを明らかにしたいと考えています。また、実験室系で青色の含Mnアパタイトの合成も試み、同様のXAFS測定を行いたいと予定しています。

 

彩色文化遺産の有機物質の分析に関するシンポジウム、ワークショップの開催
 日本において、彩色文化遺産の顔料に関する自然科学的な分析の歴史は古く、さまざまな非接触的な手法を用いて、数多くの研究がなされています。しかしながら、顔料を接着するための膠着材や、有機顔料に関する調査事例はかなり限られており、事例が増加しにくいのが現状です。
 一方で、乾燥地帯に位置する西アジアの彩色文化遺産は、比較的有機物質の残存状態が良好なため、さまざまな理化学的な手法により有機物質の分析、同定が行われてきており、多種多様な有機物質に関するデータベースが作られています。今後、各種の分析手法が国内でも利用可能になれば、さまざまな事例の蓄積をはかることができるだろうと思われます。ひいては、各地域の彩色文化遺産の調査にも、将来的に利用することができることが期待されます。

可搬型XRFを用いた壁画の非破壊元素分析
(ルーマニア・ホレズ教会堂)の事例

 2013年1月7日には、エジプトをはじめ敦煌莫高窟の壁画など、さまざまな地域の彩色文化遺産の膠着材分析をGC/MSやELISA(抗体・抗原反応を用いた生化学的な手法)で行っている研究者を米国のゲティ保存研究所(Getty Conservation Institute)から招聘し、その研究手法や事例のご報告をいただくとともに、国内外の研究事例を報告、また、有機物質の分析や調査に関する課題や展望について議論してゆくためのシンポジウムを開催予定です。1月8日~11日には、ELISA法による有機物の同定のためのワークショップも合わせて開催し、タンパク質の溶出のためのバッファーの改善、ドットブロット法を用いたタンパク質の溶解度の測定法の検討を行うとともに、抗体や経年変化している試料のシェア、情報・技術交換など行う予定です。
 初年度となる本年度は、分析方法論の確立のための実験など、次年度以降の研究の基盤となるべきデータの取得を重点的に行いたいと考えています。平成25年度以降は、実試料を用いた調査を開始し、逐次データを取得、解析する予定です。有機物質に関する分析については、西アジアに特化した参照試料の収集、データベースの構築も図り、最終年度までに有機物質の分析拠点として活用できるよう準備を整えたいと考えています。

 

研究代表者: 谷口 陽子 (筑波大学・考古科学・研究全般、総括)
研究分担者: 小泉 圭吾 (大阪大学・地盤工学・三次元計測、工学評価)
研究分担者: 沼子 千弥 (千葉大学・無機分析化学・シンクロトロン放射光分析)
研究分担者: 高嶋 美穂 (国立美術館機構国立西洋美術館・保存科学・有機分析)
研究分担者: 島津 美子 (国立文化財機構東京文化財研究所・分析化学・錯体化学、無機分析)
研究協力者: Giacomo Chiari (アメリカ、ゲティ保存研究所・化学分析・分析化学)
研究協力者: Joy Mazurek (アメリカ、ゲティ保存研究所・保存科学・ELISA 分析)
研究協力者: 朴 春澤 (株式会社ハイテック・工学・高精度三次元計測)