計画研究1(A01)

 

 

西アジアにおける現生人類の拡散ルート

 

-新仮説の検証-

常木 晃

Akira Tsuneki
筑波大学人文社会系・教授

研 究 概 要

 本計画研究では、人類史上の最初の大きな転換点となった現生人類(ホモ・サピエンス)のアフリカからの拡散というテーマについて、現生人類が出アフリカ後に最初に到達した西アジアに焦点を定め、2000年代に入って注目され始めた東アフリカからアラビア半島先端経由で南イランに上陸したとする新ルートとその後の現生人類の東西への拡散という課題の検証を目指しています。そのために本計画研究では、1970年代に日本の調査隊によって発見され、2011年より本計画研究の代表者が調査を一部再開したイラン南部アルサンジャン地区に所在する中期旧石器時代(10~3万年前)の洞窟遺跡、オープンエアサイトの本格的な現地調査(発掘・詳細踏査・測量・環境調査など)を実施し、当地域での中期旧石器時代の文化層とそれに伴う化石人骨および石器などの人工遺物の発見をめざします。領域の各計画研究班と密接に連携し、化石人骨の形態研究による古型・新型ホモ・サピエンスの同定や人骨からのアイソトープ、DNAなどの抽出による食性、ハプログループの同定、動植物遺存体による生業活動や古環境の復元、石器石材の獲得・製作・消費・廃棄の活動復元、出土石器の技術的形態的区分による文化系統の同定などの研究を行うことにより、10~3万年前にわたる年代幅での南イランでの人類そのものの在り方を具体的に復元し、現生人類の拡散問題に解答を見出していきます。
 アルサンジャン地区は、イランイスラーム革命以前の1977年に京都大学の池田次郎教授(当時)らが遺跡踏査を行い、多数の先史時代遺跡が発見されました。特に中期旧石器時代および続旧石器時代~プロト新石器時代の文化層の堆積を有する洞窟遺跡・オープンエアサイトが多く、前者の遺跡数は37、後者は63にも上っています。イランイスラーム革命により池田教授らのプロジェクトは中止を余議なくされてしまいましたが、この調査に参加していた本課題の研究代表者はそこで発見された遺跡の重要性をよく認識しています。1977年当時は、この地域における中期旧石器時代の化石人骨の発見はそのままネアンデルタール人の東限を探るという意味を有していました。しかしながら現在の研究状況においては、当地域の中期旧石器時代の化石人骨および石器などの人工遺物の発見とその研究は、現生人類(ホモ・サピエンス)のオーストラリアや東アジア、ヨーロッパなどへの拡散の時期とその状況を知ることのできる汎人類史的な意義をもつにいたっています。
 これまで積み上げられてきた形質人類学や考古学の研究成果では、約20万年前にアフリカで出現した現生人類(ホモ・サピエンス)は12~10万年前の温暖期に北アフリカからシナイ半島、レヴァントを経由してアジアやヨーロッパに拡散したと考えられてきました。ところがレヴァントで発見されている初期の現生人類を出土する洞窟(例えばカフゼー洞窟やスフール洞窟)では、その後現生人類が出土する文化層が途絶してしまいます。そして後の寒冷期に当たる文化層からは、現生人類よりも古い形質をもったネアンデルタール人たち(ヨーロッパから南下したと考えられています)が発見されるという奇妙な逆転現象が起こっているのです。このことから、最初にシナイ半島を通って出アフリカした現生人類のグループは、寒冷期にアフリカに戻ってしまったか絶滅してしまった可能性が生じてきました。 

図1 ホモサピエンスの出アフリカルート

 20世紀末に、分子生物学から新たな出アフリカルートが提示されました。それによると、ハプログループL3の人々が13~12万年前あるいは8~6万年前の寒冷期に東アフリカからアラビア半島の先端を経由して出アフリカし、イラン南岸経由でハプログループMやNの人々を誕生させて、オーストラリアや東アジア、ヨーロッパなどに拡散していったと主張されています。このアラビア半島経由の出アフリカを遂行した現生人類こそが現在世界中に生き残っている私たちの祖先であるというのです。この場合、南イランは人類拡散の結節点ともいえるルート上に当たることになります。アルサンジャン地区はまさにそのような場所に位置していて、拡散時期に当たる中期旧石器時代の遺跡が多数存在しています。当地域での中期旧石器時代の文化層とそれに伴う化石人骨および石器などの人工遺物の発見は、西アジアへの現生人類拡散の研究のみならず出アフリカ後の現生人類の拡散過程の全体像を知るための、きわめて貴重な資料になるのです。

 本計画研究の最大の特徴は、何と言っても現生人類の出アフリカ後の拡散の結節点と目されている南イランにおいて、焦点となっている中期旧石器時代遺跡の発掘調査を実施し、研究資料を得ようとしている点です。南イランでこうした調査を行うには、イランの文化財行政を担っているイラン文化遺産工芸観光省(ICHHTO)及びその傘下の考古学研究所(ICAR)と協力関係を結ばなければ到底不可能です。近年は欧米各国の調査隊をイラン政府がほとんど受け入れていない状況となってしまい、考古学調査を行っている外国の調査隊は極めて限られています。イスラーム期よりはるか以前の旧石器時代の研究を行っている欧米の調査隊は現在は一つもありません。しかし研究代表者は、ダム建設のためイラン政府の要請により2005-2007年度に実施された南イラン・ファルス州タンギ・ボラギ地区における水没遺跡救済プロジェクトに協力するとともに、迅速に本報告書を出版してICHHTO、ICARの信頼を得るとともに、その後も粘り強く交渉を続け、ICHHTOと筑波大学との間でイランにおける考古学調査についての協定書MoUを結ぶことに成功しました。この機会を逃さずに強力に研究を進め、南イランでの現生人類拡散について語れるような実証的証拠を得ていきたいと考えています。
 研究代表者らは、すでに筑波大学のプレ戦略イニシアティヴなどの資金を得てアルサンジャン地区にある有望な洞窟遺跡の一つタング・シカン洞窟(A5-3)において2011年11月に試掘調査、2012年3月には本格調査を開始し、中期旧石器時代~プロト新石器時代にかけての文化層を確認しました。そして2012年夏季には同洞窟の奥に発掘区を設定して、約40日間にわたる発掘調査を行なっています。これまでに、中期旧石器時代の炉址が5か所集中してみられる地点や、洞窟内の湧水を利用した水飲み場施設などの遺構を検出するとともに、数万点に上る石器類や動物骨などを発見しています。これらの遺構や遺物について現在研究を進めるとともに、研究分担者や他の計画研究班に所属する研究者などの協力によって、14C、ラセミ化法、光ルミネッセンス法など様々な手法での年代測定、動物骨の詳細分類やウオーターフロテーションによって得られた植物遺存体の分析による生業活動の復元、採取した土壌や水などに基づいての古環境復元など、様々な研究が既に進行中です。これらの研究成果につきましては、順次、ホームページやニューズレターなどを通じて公開してまいります。


 

研究代表者: 常木 晃 (筑波大学・西アジア考古学・全体の総括)
研究分担者: 大沼 克彦 (国士舘大学・石器製作技術・石器研究)
研究分担者: 西山 伸一 (中部大学・イラン考古学・遺跡研究)
研究協力者: Sean Dougherty (ミルウォーキ技術大学・古病理学・形質人類学的研究)
研究協力者: Seyed Mireskandari (イラン文化遺産工芸観光省・イラン考古学・遺跡研究)