計画研究9(A03)

 

 

多元素同位体分析による
古代西アジアにおける古環境復元

 

 

丸岡 照幸

Teruyuki Maruoka
筑波大学生命環境系・准教授

研 究 概 要

軽元素安定同位体比分析用質量分析計

 骨や歯などの考古資料を用いて、そこに含まれる化学的な情報から、(人間を含めた)生物が生きていた時代の環境に関する情報を引き出すことが本研究の目的です。

 

本研究のキーワードは同位体比と多変量解析です。


 宇宙に存在するありとあらゆる物質は原子からできています。原子はその中心に存在する原子核があり、その周りには電子が存在しています。原子核は正の電荷を持ち、電子は負の電荷を持っています。さらに原子核は正の電荷を持つ陽子と電荷を持たない中性子からできています。原子の性質は陽子の数が決めていますが、同じ陽子数を持つ原子にも中性子数の異なるものが存在します。この中性子数の違う原子のことを「同位体」と呼んでいます。例えば、炭素は陽子の数が6の原子ですが、中性子の数は天然に存在するものとして、6,7,8の同位体が存在します。一般的に中性子数よりも質量数と呼ばれる陽子数と中性子数の和が同位体を表現するのに使われます。すなわち質量数12,13,14の炭素が天然に存在しています。そして、これらの同位体を12C,13C,14Cのような記号で表します。Cは炭素のための元素記号です。このうち14Cは放射性同位体で、壊れて14Nに変わります。この性質を利用して考古学においては年代測定に用いられています。12C,13Cは安定同位体と呼ばれ、14Cのように増減することはありません。
 同位体は化学的な性質は同じですが、化学変化における反応速度が異なります。物質が変化するときには、この速度の違いにより、同位体による偏りが生じます。例えば、光合成ではCO2の炭素の一部が有機物に変換されます。すべてのCO2が有機物に変わるのであれば、CO2と有機物の炭素同位体の比率(これを同位体比と呼びます)は等しくなりますが、実際は一部の炭素のみが利用されます。このときには13Cよりも12Cの方がより有機物に変換されやすく、CO2と有機物の炭素同位体比には違いが生じます。炭素の同位体比は13C/12Cで表されますが、光合成で生成された有機物の13C/12CはCO2に比べて低くなります。この例に限らず、物質が完全に変換されるのでなく、元の物質を一部残しつつ変化するような場合には同位体の偏りが生じることがよく起こります。そして、この同位体の偏りの程度が環境に依存することがあり、この性質を利用することでその反応が起こったときの環境を推定することができます。
 この同位体の偏りはその同位体の質量の比に依存します。例えば、水素には、1Hと2Hの二つの安定同位体がありますが、この質量比は2/1=2となります。ウランには235U,238Uが存在しますが(ともに放射性同位体)、その質量比は238/235=1.01です。重い原子ほど質量比は1に近づきます。したがって、同位体の偏りは軽い元素の方が大きくなります。このため安定同位体を用いた環境変動解析では、H,C,N,O,Sなどの軽元素がよく利用されます。
 同位体比分析には質量分析計が用いられます。例えば、物質に含まれる炭素の分析を行うときには、その炭素をCO2ガスに変換します。変換されたCO2は質量分析計の中でイオン化されて、CO2+になり、このようなイオンが磁場中を通ります。磁場の中でイオンの軌道が曲げられますが、軽いものほど曲がり易く、重いものほど曲がりにくく、CO2を重さ(厳密には重さ/電荷数)によって分離することができます。そして、CO2イオンは重さごとに異なる検出器に入り、イオンの数を電気信号として取り出すことができます。酸素には16O,17O,18Oが天然に存在しますが、12C-16O-16Oという組み合わせのCO2イオンと13C-16O-16Oという組み合わせのCO2イオンの数を比較することで13C/12Cという同位体比を得ることができます。(実際には12C-16O-17Oも13C-16O-16Oと同じ分子量になりますが、12C-16O-18Oを測定することで、12C-16O-17Oの比率を予想することができます。)筑波大学には水素、炭素、窒素、酸素、硫黄といった軽元素同位体比分析のための装置が導入されています(写真)。
 写真の右側は元素分析計と呼ばれる装置です。ここでCO2など測定に必要なガスが生成されます。元素分析計は高温炉とガスクロマトグラフィからなります。高温炉で生成されたガスがHeガスに押し出されてガスクロマトグラフィ部に送られます。ここで他のガスと分離されて、左側の質量分析計に導入されます。例えば、酸素の同位体比分析にはCOガスが用いられますが、12C-16Oと14N-14Nは分子量が等しいため、同時に生成されて質量分析計に入ると区別が付かなくなります。これは測定の精度を下げることになりますので、ガスの分離が必要になります。この例に限らず生成した対象にしたいガスと他のガスと分離しないと正確な同位体比が求められません。このためにガスクロマトグラフィに生成したガスを通します。
 同位体比を変化させる要因はもうひとつあります。それには先に述べた14Cのように壊れて別の原子になる放射性同位体が関わります。その例に今回の研究でも使用する87Sr/86Sr(ストロンチウム)をあげることができます。87Srも86Srも安定な同位体です。86Srに関しては増減はありませんが、87Srには87Rb(ルビジウム)の放射壊変により加わる成分が存在します。Rb/Srが異なる物質が存在すると、時間を経ることで87Sr/86Srに違いが生じます。実際にSrとRbは異なる元素なので、その挙動に違いがあり、ある物質はRb/Srが高く、別の物質では低いということが起こります。こうして87Sr/86Srは岩石の種類によって違いが生じることになります。岩石中のSrは風化により水に溶解し、それが飲み水や食べ物を通して動物に摂取されます。SrはCaと似た性質を持っているので、Caの豊富に含まれている骨や歯の一部となります。骨や歯のSr同位体比を分析することで、その生物が摂取した水や食物の起源に制約を加えることができます。
 人を含めた動物の骨や歯は主にコラーゲン(たんぱく質の一種)とアパタイト(鉱物の一種)という2種類の成分から構成しています。コラーゲンには炭素、窒素、水素、酸素、硫黄などが含まれており、それぞれの元素の同位体比分析を行います。アパタイトはリン酸カルシウム鉱物ですが、このリン酸(PO43-)の酸素やカルシウムを置換するSrなどの同位体比分析を行います。このように一つの試料から種々の同位体比や微量元素濃度といった多数のデータを取得することが可能です。そして、そこに埋もれている情報を引き出すために多変量解析を用います。その中でも特に主成分分析という方法を用います。多試料から得られた多変量のデータに内在する傾向を見出す手法です。
 環境変動を読み取る素材として樹木年輪がよく用いられています。年輪試料から得られた情報は「連続的」ですが、骨や歯などの考古資料からの情報は「離散的」です。年輪は一個体からの情報で議論が可能ですが、これは個体としての性質はすべての年輪に同じように作用するので打ち消されるためです。(同一個体でも若年期には他の期間とは同位体比としてのレスポンスが異なるということも見出されています。)一方、骨や歯では一資料から得られるものはその「点」的な情報しかありません。そこには、性別、年齢、嗜好などの含めた個体差の影響が含まれています。したがって、一資料からの情報では、そこから多元素同位体比のデータが得られたとしても、その意味するところを理解するのは容易ではありません。(樹木年輪資料においても年輪ひとつだけを取り出してもその解釈はできません。)
 個体差は個体数の少ない場合には問題となりますが、分析に利用することのできる個体数が増加すれば、それは逆に利点となります。統計的に扱える程度に個体数があれば、どの同位体比とどの同位体比がどれくらい関連していて、その原因が何なのかを多変量解析により明らかにすることができます。そして、個体差に起因する成分を取りのぞいた「環境」に固有の同位体比組成を引き出すこともできます。本研究ではこのように多変量解析と多元素同位体比分析を利用して、西アジアにおいて環境がどのように空間的に、時間的に変遷したのかを読み取りたいと考えています。


 

研究代表者: 丸岡 照幸 (筑波大学・地球化学・総括、軽元素同位体比分析)
研究分担者: 池端 慶 (筑波大学・岩石学、地球化学・Sr 同位体分析)
連携研究者: 柴田 智郎 (北海道立総合研究機構・地球科学・CT イメージ解析)
連携研究者: 上松 佐知子 (筑波大学・古生物学・CT イメージ解析)
連携研究者: 西尾 嘉朗(海洋研究開発機構・地球化学・Sr 同位体分析)