アナトリア・メソポタミアでの新石器時代の遺跡調査(ハッサンケイフ・ホユック、チャルモ[ジャルモ]等)を実施しつつ、西アジアの都市化に先駆けて起こった都市文明への胎動とみなしうる現象(大型公共建造物、埋葬儀礼の複雑化、遠距離交易、大人口集落など)に関して、考古学的・動植物学的・環境科学的研究をおこなう。
「新石器革命」という用語に象徴されるように、農耕・牧畜の開始は社会の経済的な基盤を整え、都市や国家の形成へと至る道を用意したとして、その意義が高く評価されてきた。その一方で、新石器時代の社会自体については、まだ比較的単純な農耕村落社会であるとみなされてきた。しかし、ギョベックリ・テペ遺跡(トルコ)をはじめとする近年の調査・研究の進展により、新石器時代の初頭には大型の公共建造物や祭祀センターが存在していたことが知られるようになった。さらに、この時代には高度な工芸技術、複雑な葬送儀礼、シンボリズムや長距離交易の発達を示す資料も数多く蓄積されるようになった。こうした状況は、メガ・サイトと呼ばれる多くの人口を擁する大規模集落の存在とともに、都市的社会を先取りするような動きが、新石器時代の初頭にすでに生じていたことを示している。本計画研究では、新石器時代に認められるこうした「都市社会的様相」について、考古学的資料の分析を通じてその実態の解明を進め、その後の本格的な都市社会と比較することにより、その共通点や質的な違いを浮き彫りにする。また、定住化や生業の問題にも目を配ることにより、それを生みだした背景に迫り、社会の複雑化がいかに進行したのか明らかにする。
Copyright © 2018 The Essence of Urban Civilization: An Interdisciplinary Study of the Origin and Transformation of Ancient West Asian Cities.